地道に一筋に、
自分が選んだ道を生きる。
プロレス道に賭して30年。リング上での熱いファイトもさることながら、後進の育成と業界の振興、さらにはチャリティープロレスを通じた“いじめ撲滅”活動など、八面六臂のご活躍の大谷晋二郎氏。庄司建設工業100周年を記念し、自身もプロレスファンという庄司岳洋社長との対談が実現しました。話の深まりとともに、プロレスと建設業の意外な共通点も見えてきました。
幼いころからの夢を現実に引き寄せる。
庄司:本日は長年のプロレスファンである私が、公私ともに交流のあるプロレスリングZERO1(ゼロワン)の取締役にしてプロレスラーの大谷晋二郎さんをお迎えしています。お話を伺えるのを楽しみにしてきました。
大谷:お招きいただき、ありがとうございます。
庄司:大谷さんはもはやプロレス界のスターにして重鎮ですが、小さい頃からの夢を実現された、見事な初志貫徹の方なのですよね。
大谷:そう言っていただけて光栄です。プロレスとの出会いは小学校2年生の時、アントニオ猪木さん(新日本プロレス)の全盛期の頃ですね。テレビで試合を観て、ビビビっときまして(笑)、「ぼくは将来プロレスラーになるんだ」と幼心に誓ったものでした。それからプロレスのことだけを考えてきました。
庄司:大人は子どもたちに夢や目標を掲げることを奨励しますが、実際に具現・達成するには相当の努力や根気、情熱を要します。特にスポーツの場合は「身体に恵まれる」という言葉の通り、才能やフィジカルが必要とされるケースもありますね。
大谷:実は小さい頃は体が弱くて、運動ができなかった時期もあったんです。医師からは「スポーツよりも学業を」と奨励されるほどで、その言葉に従っていたら、私は今ここにいないでしょうね。でも「プロレスラーになるんだから、体を鍛えなくっちゃならない」と弱さの克服のほうに力を注ぎました。プロレスがあったからこそ、がんばれた。ですから今、全国のどこかにかつての大谷少年がいるように思えてならないのです。
庄司:大谷さんはプロレスを競技としてだけではなく、子どもたちの健やかな成長に役立てたい、いじめ撲滅のきっかけになればと活動なさっている点が素晴らしいと感服しています。当社では2018年11月、ZERO1の試合※1をスポンサードしており、それが大谷さんとの直接の出会いのきっかけになりました。ご多忙にもかかわらず興業の前日には、地元の小学校でプロレス教室を開いてくれたのですよね。翌年7月には南相馬市で開催されたZERO1チャリティープロレス※2を、当社が共催したという経緯もあります。その後、じっくりとお話をさせていただく機会もあり、お互いのプロレス愛を披歴することになりました(笑)。
大谷:そうでした(笑)。『プロレススーパースター列伝』(原作:梶原一騎・作画:原田久仁信)の話題で盛り上がりました。これはプロレスファンにとってはバイブルともいえる漫画なのですが、庄司社長は劇中で炸裂するパワーワードをよく記憶していらして、二人で飽きることなく数々の名言を繰り出しました。社長は筋金入りのプロレスファンだと知り、非常にうれしくなりましたよ。
庄司:私の場合、レスラーへの憧れは、長じてバンドマンに代わっていくのですが、プロレスとロック(ライブ)は構成されている要素が同じだなと感じることがあります。前座があり、オーディエンスを盛り上げるためのセットリストの工夫や演出があり、演者と観客が二度と同じもののない”その場・その時間”を共有する。ドラマチックで胸が熱くなるような、忘れられないひとときを求めて、私たちはリングやステージに集うのだと思います。
コミュニケーションの源、
”受け身”で相手を知る。
大谷:今でこそ、プロレスを通じて、子どもたちに伝えたいことがあると発奮していますが、デビュー当時は、ほんとうに自分のことしか考えないレスラーでした。周りは強者(つわもの)ばかり。先輩、同期を打ち負かしたいという上昇志向が強かったですね。合宿所では、宿舎の隣りに道場があったのですが、夜中寝ていると、カチャンカチャンとバーベルを上げる音が聞こえてくるのです。「アイツ、また強くなる」と思うと居てもたってもいられなくなって…。起き出して道場に向かっていき「ヤツが帰るまで、オレはやめないぞ」と思ったものでした。同志としての仲の良さはありましたが、周囲はライバルばかりでした。
庄司:健全なハングリー精神ですね。当社では、スポーツクラブアプトロンを運営しています。最近では、トレーニングを科学的に理解し、正しく実践する(させる)ことの重要性が広く浸透しているように思いますが、プロレス界ではトレーニングメソッドの移り変わりなどはありますか。
大谷:時代によってというよりは、コーチやトレーナーの考え方によりますね。トレーニング効果を最大化させるために、部位別のメニューを細やかに決めるケースもあれば、例えばですが、大きな岩を限界まで持ち上げさせるような豪快なトレーニング法を守り続けているところもあります。私は、トレーニングに正解はないと思います。一人ひとりの身体の成り立ちが異なるように、鍛え方も千差万別であってよいのではないでしょうか。いずれにせよ激しい技の応酬に耐えうる強靭な肉体と精神を維持しなければなりません。プロレスというのは、受け身の練習から入るのです。鍛錬によって体を大きくする一方で、ちょっとやそっとでは傷まない、壊れない体をつくるのです。私の場合、初めは攻撃など教わりませんでしたからね(笑)。長州力さんの許しを得て、1992年6月福島市体育館でデビューしたのですが、技などろくに知りませんから、ボディスラムとエルボーをやたらと繰り出していました(笑)。
庄司:技を受けて受けて、相手の良さを十分に引き出してから、自分の強さや個性をアピールしていく…そうしたプロレスの双方向のやりとりというのは、他の格闘技にはない魅力だと感じています。受け身の大切さというのは社会人にも通じますね。私が社会に出た当時、モーレツ時代だった昭和の気風がまだ色濃く残っておりましたし、取材相手などから長々と持論や自慢話などを聞かされたこともありました。そうして話を受けつつ、同意したり流したり、果てはささやかに反論したりする術を学びました。現在では若い世代を中心に“飲みニケーション”はあまり歓迎されませんし、独善的な価値観の押し付けは避けなければなりません。しかし、どんなに時代が変わろうとも、相手の言わんとすることを受け取る、顧客のニーズを受け容れる、社内での仕事をしっかり引き受けるという姿勢は、企業人として重要なことであると思います。コミュニケーションの源でもありますね。
続けるからこそ信頼される、
意味と意義が強化される。
庄司:大谷さんはいじめ撲滅チャリティープロレスを15年以上前から取り組んでおられますね。観戦した子どもから「どうして相手のキックから逃げなかったの」と問われて「きみたちの前では逃げたくなかった」と明言したという話が非常に印象的で、これこそが”我らが大谷晋二郎だ”と感激しました。
大谷:生身の体がぶつかり合う”リアル”なプロレスは、根底に様々なメッセージを含んでいると思います。私は常々、負けることを恐れるなと言います。ほんとうに強い人は、負けても何度でも立ち上がる人だ、と。現在は、テレビでの放映も非常に少なくなっていますし、そもそも子どもたちはプロレスという競技を知らないと思います。私たちはまさに目の前で、迫力ある技の攻防を繰り広げます。倒されても倒されても立ち上がる姿は、私の生き様の投影です。それに目を輝かせて、子どもたちは割れんばかりの声援を送ってくれる。「ぼくらのために身を挺してくれる大人がいる」ということをわかってもらえたら本望ですね。
庄司:チャリティープロレスは、2009年に高視聴率を誇るお笑いトークバラエティ番組で大々的に紹介されましたよね。これからだいぶ潮目が替わったのではないですか。
大谷:そうですね、大反響でした。それまではプロレスをやらせてくださいと10校小学校を回って、了解してくれるのはせいぜい1校です。いや、わかっています、今や安全管理の厳しい学校でプロレスとはなかなか難しいものがあると思いますし、先生方に私たちの想いや趣旨が十分に伝わっているとも思えませんでした。ところが放映後は全国からプロレスだけではなくて、講演などの依頼も殺到しました。2020年以降はコロナ禍で開催ができなくなりましたが、続けることで子どもたちの心に響かせたいですね。そういえば、別のプロレス団体で同じ「いじめ撲滅」と称して興行しているところがあると聞きました。私はそれを耳にして全く嫌な気はしなかったのですね。むしろどんどんやってくれ、ただし、いじめはデリケートな問題だからそこだけは配慮しながら続けてほしい、と思いました。私たちの専売特許だなんて言うつもりはありません、ただ時々は小声で「始めたのは僕たちですよ」と言いたいですね(笑)。継続は信頼を生むと思っています。
庄司:「継続は力なり」は私の座右の銘の一つですが、信頼を生むとはすばらしい発展形ですね。草の根的な取り組みが、プロレスファンのすそ野を広げることにつながっていくのではないでしょうか。
大谷:全国で少しずつ種まきをして、芽が出て、もうすぐ大輪の花を咲かせるのではないかと期待しています。実は、チャリティープロレスを見た子どもの中にはプロレスラーを志し、今では地方のプロレス団体で活躍している方もいます。私もリング上で一戦を交えました。感慨無量でしたね。
お客さまに喜んでいただくことが
活動の原点。
プロレスも建設業も同じ。
庄司:プロレスリングZERO1も2001年3月に旗揚げ戦を開催されて以降、20年の長きにわたって群雄割拠の業界を渡ってこられていますね。
大谷:ありがとうございます。国内のプロレス団体は2、3名で構成されるところも含めると100以上の組織があると言われています。再編や淘汰の激しい業界です。私たちも正直これまで順風満帆だった年は1度もなかったといえるほどです。厳しい条件の中でついてきてくれている選手もいれば、残念ながら袂を分かった選手もいる。みんな生きるために必死です。でも、帰ってこられる場所としてZERO1は存続させなければならないと私は強く思っています。ZERO1は、橋本真也(1965年- 2005年)が立ち上げた団体(設立時:プロレスリングZERO-ONE)です。創始者亡き後、新しい風を起こすべきという声もあるのですが、私は橋本真也がつくったゼロワンを守りたいのです。
庄司:“のれん”を守るということですね。大谷さんほどの実力と人気があれば、各方面からの誘いがあったかと拝察するのですが、使命と責務を全うする道を選択したということなのですね。
大谷:庄司建設工業さんは100周年ということで、私たちは足元にも及びません。改めてお祝いを申し上げます。
庄司:100年前、勇気をもってこの地に会社を興した先代、まっすぐに仕事と向き合い献身的に支えてくれた社員のみなさん、そして共に歩んでくださっている地域のみなさまに心からの感謝とお礼を申し上げたい。私たち建設業は社会インフラや民間の施設など、実に様々なものをつくるのですが、何一つとして無駄なものはなく、どれもが社会や暮らしになくてはならないものです。人がつくり出したものを人が使うという営為は、とても尊いものであると思います。大谷さんがプロレスを通じて、子どもたちに希望を届けているように、私たちも”ものづくり”を通じて、未来を担う子どもたちに夢や感動を与えたい。建造物一つひとつに名前は記されていないけれども、地道に真摯にものづくりを果たした人たちがいるということを伝えたいですね。エンドユーザーである地域の方々に喜んでいただくことが、私たちの企業活動の原点なのです。
大谷:プロレスの本質も強いだけではなく、お客さまに喜んでもらえることにあります。私はプロレスラーになって30年です。この間、数えきれないぐらい「大谷さんにとってプロレスとは何ですか」と訊かれました。若い時は「人生」とか「生きがい」と答えていたのですが、どうもピンとこなかったんですね。でもチャリティープロレスを続けるうちに、「プロレスとは見ている人に元気を与えるものだ」と胸を張って言えるようになったのです。これは不器用ながらも、この道一筋に走り続けてきた私にとっての一つの到達点であろうかと思います。
庄司:本日はたくさんの示唆に富むお話をありがとうございました。幼い頃、2年に一度ぐらい原町に興行にやってくるプロレスを観戦するのがとても楽しみでした。そのワクワクする体験を、今度は提供する側にならなくてはなりませんね。また何か面白いことを一緒にやりましょう。本日はありがとうございました。